財団法人 大阪府三島救命救急センター

財団法人 大阪府三島救命救急センターの基本情報

所在地 〒569-1124
大阪府高槻市南芥川町11-1
最寄駅 JR東海道線 高槻
業種 病院
診療科目 内科 外科 整形外科 脳神経外科 心臓血管外科 放射線科 麻酔科

大阪府三島救命救急センターの看護師口コミ 64件中 51~64件

並び替え

財団法人 大阪府三島救命救急センター

休日・休暇・残業について

該当時期
2013年頃
投稿日
2019年03月

休み希望は2人以上重なると、希望が通らないことがあります。3.、4、5月は勤務希望が出せないルールになっていました。夏休...(残り 68文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

退職理由/退職検討理由

該当時期
2019年頃
投稿日
2019年03月

給与はしっかり出ますが、賞与が厳しいです。かなり厳しいです。 確約されていないのは当然かと思いますが、額面の発表が、直...(残り 75文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

退職理由/退職検討理由

該当時期
2018年頃
投稿日
2019年03月

冬のボーナスカットされました。 市の出向役人が決定。幹部職員は意見が通らず。2022年に大阪医科大学と合併する予定です...(残り 49文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

休日・休暇・残業について

該当時期
2015年頃
投稿日
2019年01月

部署によりますが残業はぼぼなし。 ドクターは医局に属してないひとばかりで荒っぽく暴言は当たり前。救命なので仕方ないのか...(残り 59文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

給与について

該当時期
2015年頃
投稿日
2018年10月

ハードな割に給料が安いです。 部署によっては成長できるかもしれませんが、離職率が高く、教える方もあまり経験年数が高くな...(残り 53文字)

大阪府三島救命救急センターの最新求人情報に関するお問い合わせはこちら

財団法人 大阪府三島救命救急センター

仕事のやりがい、大変さ

該当時期
2005年~2009年頃
投稿日
2018年10月

とても忙しいです。 勉強会や訓練もたくさんあり、とても勉強になります。 プライベートを削ってでも勉強がしたいという熱...(残り 74文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

教育・研修、スキルアップ

該当時期
2001年~2005年頃
投稿日
2018年07月

今、されているかわかりませんが、サルでもわかる夏季セミナーという医師や看護師がセミナーを実施してくださり、大変勉強になっ...(残り 48文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

職場の雰囲気、人間関係

該当時期
2003年~2007年頃
投稿日
2018年04月

普段からとても忙しいため、他人のことについて言っている暇もなく職場の雰囲気はドライだったと思います。熱心な方が多いため自...(残り 62文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

職場の雰囲気、人間関係

該当時期
2017年頃
投稿日
2018年04月

人間関係は良かったと思います。年齢層は若めでスタッフ同士は仲が良く和気あいあいとしていて雰囲気は良いと思います。忙しい時...(残り 50文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

職場の雰囲気、人間関係

該当時期
2001年~2005年頃
投稿日
2018年01月

救命センターなので重症患者が多く、集中治療や救急については多く学べます。離職率は高いかと思いますが、教育体制はあるため若...(残り 55文字)

大阪府三島救命救急センターの最新求人情報に関するお問い合わせはこちら

財団法人 大阪府三島救命救急センター

福利厚生について

該当時期
2015年頃
投稿日
2017年11月

病院全体で納涼会や1泊か日帰りの旅行に行くことができます。しかし、それも別途で料金が発生しますが(数千円程度だった気が)...(残り 47文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

施設・設備・備品について

該当時期
2012年頃
投稿日
2017年01月

施設は、古いのですが、医療機器等〔呼吸器、除細動器、輸液ポンプ系など〕は常に最新の機械が入っています。 建物は、所々に...(残り 44文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

給与について

該当時期
2016年頃
投稿日
2016年04月

残業は少ないですが、残業手当は付けても大丈夫な雰囲気です。夜勤が月に6~7回あります。それでも手取り25万前後でした。今...(残り 65文字)

財団法人 大阪府三島救命救急センター

ママナースの働きやすさ

該当時期
2006年~2010年頃
投稿日
2014年12月

子育てをしながら仕事と家庭を両立するのは非常に難しい病院だったと思います。給料が安く、遅くまで残業になることもありました...(残り 74文字)